火(心)の健康と思考

東洋医学では「心」は「神志」を司るといいます。
神志とは、思考や記憶、意思など、特に脳の大脳皮質における働きとみなすことができます。
中国の古典「素問・霊蘭秘典論」には「心は君主の官であり、精神活動の根本を受け持つ所」と書かれています。
心の機能が低下すると、意欲の低下や不眠、物忘れなどの精神症状の他、動悸、息切れなどの身体症状も引き起こします。
身体症状は、精神の不安定な状態が自律神経系に影響を及ぼすことが一つの要因と考えられます。
東洋医学では、このような症状を心血虚とよびます。
心血虚にならないためには精神の状態、特に思考を不安定な状態にしないことが重要です。

 

欲望が病の原因となる

神志の機能を思考とすれば、神志の失調とは思考の混乱といえます。
思考を混乱させる最も大きな要因は欲望です。
適度な欲求は生きていくために必要ですが、強い欲望は害をもたらします。
私たちは欲求を満たすことで多幸感を得ることができますが、これは脳内にドーパミンという物質が増えたことによります。
ドーパミンは中脳の腹側被蓋野から脳の様々な部位に伝達されます。
前脳の側坐核では快情動が生じ、海馬で快情報として記憶されます。
前頭前野においては快の情動行動を起こす意思決定がなされます。
情動行動によって分泌したドーパミンは時間が経つにつれて減少するので、再びドーパミンによる快楽を求めて欲求が生じます。
ドーパミンは人が生きていくための活力になっているともいえます。
一方で負の側面があることも知っておく必要があります。
同じ情動行動を繰り返していくと、ドーパミンの分泌量はしだいに減少するため、さらに強い情動行動を促すような欲求を生じます。
このとき理性で抑えなければ、欲求は無限に拡大していきます。
例えば「食べる」という行動では、腹八分目で止めずに食欲のままに食べ続けてしまえば肥満になることは容易に想像することができます。
これは食欲や睡眠欲、色欲などの生理的な欲求に限らず、お金や贅沢品、地位、名誉など、ありとあらゆるものに当てはまるといってよいでしょう。
人間関係も例外ではありません。
愛情や友情、絆などの言葉にはポジティブな意味が込められていますが、支配欲と言い換えることもできます。
たとえ見返りを求めないものであったとしても、自分の満足度を高めるためという点では、すべてドーパミンによる快楽の原理に従っているのです。
あらゆる情動行動は、適度なところで抑えなければ無限に拡大していきます。
欲望をコントロールできない人は、情緒不安定となり精神症状が現れやすく、また自律神経が乱れ身体症状も起こりやすくなるなどして、健康で穏やかに生きていくことが難しくなります。

 

先人の知恵に学ぶ

江戸時代の儒学者で医者でもあった貝原益軒は、1713年に健康に関する指南書として「養生訓」を著しました。
その内容は、食事や日常の過ごし方、薬の使い方まで多岐にわたっています。
益軒はこの中で、欲を抑えることの重要性について何度も述べており、養生の道を実践する上で最も大切だと考えていたことがわかります。
例えば、「巻第一総論上『七情を慎む』」には次にように書かれています。
「さて養生の道の根本は、内欲をおさえる(我慢する)ことである。この根本をしっかり務めれば元気が強くなって外邪におかされることもない。内欲を慎まないで元気が弱いと外邪におかされやすくなって大病にかかり天命をたもつことができない。(以下略)」
益軒は、欲を抑えることによって、心が穏やかになり元気を損なうことがなく、それによって風・寒・暑・湿などの外邪に勝つことができると述べています。

仏教では欲望を煩悩とよび、人の苦しみの原因になるものであり、また智慧(ちえ)を妨げる心の働きでもあると考えています。
智慧とは仏教用語で「物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。」と説明されています。
欲望が思考を妨げると言ってもいいでしょう。
苦は四苦八苦といって、苦しみを生・老・病・死の4つの根元的な苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を加えた8苦に分類しています。
「病(病気)」は、「煩悩(欲望)」が原因だということになります。

瞑想で欲望を抑える

お釈迦様は、菩提樹の下で瞑想したことにより悟りを開き、煩悩を克服したといわれています。
一般の人が、煩悩を完全に無くすことは難しいかもしれませんが、瞑想を取り入れることによって、欲望への執着をある程度抑えることは決して不可能ではありません。
瞑想の健康への効果は、脳科学の進展によって明らかになってきました。
記憶に関わる海馬の機能が回復することや、欲望の元となるドーパミンの働きを抑えるセロトニンという物質が増えることなどがいわれています。

瞑想の歴史は古く、およそ5000年前のインダス文明においてすでに行われていたそうです。
都市遺跡であるモヘンジョダロから、瞑想する人を刻んだ印章が発見されています。
古代インドにおいて、瞑想はヨーガの中で行われました。
現在広く普及しているヨーガは、ハタヨーガといって身体を鍛えるものですが、ヨーガとは元来は精神統一により心の働きを止めて解脱を目指すという宗教的なもので、身体の鍛錬は精神統一のための前段階として行うものだったようです。
仏教では、瞑想を精神統一により心を鎮める「止」と事物を正しく観察する「観」に分けられるという考え方があります。
中国では隋の時代、天台宗の開祖智顗(ちぎ)が「止観」を重視した瞑想の実践を提唱しました。
天台宗は、平安時代に最澄によって日本にも伝えられました。
瞑想には、意識を一点に集中する「サマタ瞑想」と、物事をありのままに観察する「ヴィパッサナー瞑想」があり、「止」を「サマタ瞑想」、「観」を「ヴィパッサナー瞑想」とする見方もあるようです。
鎌倉時代に入ると、臨済宗、曹洞宗などの禅宗が中国から伝わり、坐禅という形で瞑想が行われるようになりました。
曹洞宗を広めた道元は、坐禅は悟るためではなく、ひたすら座り続けるだけという「只管打座(しかんたざ)」を提唱しました。
近代に入ると、瞑想は宗教的な要素を取り除いた形でも行われるようになりました。
実業家で思想家の中村天風は、最初に日本にヨーガを広めた人物として知られています。
天風はインドでのヨーガの修行によって、自身の結核を治したといわれています。
1919年に「統一哲医学会」を創設し(1940年に「天風会」に改称)、「心身統一法」として、瞑想法や呼吸法、体操法などを広めました。
天風が考案した瞑想方法のひとつに「安定打坐法」というものがあります。
ブザー音を使用することで集中力が高まり、瞑想状態に入りやすくなるそうです。

近年では、マインドフルネスがブームになり、ビジネスに取り入れている企業も増えてきているようです。
マインドフルネスは、分子生物学者のジョン・カバット・ジン博士が、仏教と西洋医学を統合して開発し、医療の現場においても取り入れられるようになりました。
マインドフルネスの特徴は、今この瞬間に意識を向けることです。
瞑想の他、食事や日常の動作も観察するといったものです。

人間の感情は瞬間的に変化することもありますが、過去の体験を思い出したり、あるいは将来起きることに不安を覚えたりすることによっても変化します。
そのような感情は、今この瞬間に意識が向けられていないことによって起こっているのです。
瞑想は今に意識を集中するために最も効果的な方法だといえます。
ヨーガ、禅、マインドフルネスなど形態は様々ですが、瞑想が長い歴史の中で途絶えることがなかった理由は、その心身への効果が確かなものだったからでしょう。

ここまでは瞑想の良い面だけを説明しましたが、瞑想や坐禅、マインドフルネスには副作用もあります。
いわゆる禅病と呼ばれる症状です。
躁や鬱などの精神症状、不眠、動悸、息切れなどの症状が起こったという報告もあるようです。
やり過ぎには注意です。
結果を期待し過ぎないように気軽に取り組むことが秘訣です。
過度に結果を求めることは、それもまた欲望を断ち切れていない証拠です。

 

参考文献
小曽戸丈夫・新釈(2006)『素問』(たにぐち書店)
辰巳洋(2009)『実用中医学』(源草社)
中野信子(2014)『脳内麻薬』(幻冬舎新書)
貝原益軒・著/伊藤友信・訳(1982)『養生訓 全現代語訳』(講談社学術文庫)
廣澤隆之(2002)『図解雑学 仏教』(ナツメ社)
宝彩有菜(2007)『始めよう瞑想』(光文社)
沢井淳弘(2018)『最高の瞑想法』(三笠書房)
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