●五月病
進学や進級、就職、転勤、転居などの環境変化に適応できず、気分の落ち込みや、疲労感、集中力の低下、不眠など、心身に不調が現れた状態を世間では五月病と呼んでいます。
五月病は医学的な用語ではありませんが、適応障害やうつ病などの病気と関係しているといわれています。
これらの不調や病気では、脳内でノルアドレナリンやセロトニンなどの神経伝達物質のバランスが崩れていることが分かっています。
ストレスや生活環境の変化などが、主な原因であると考えられます。
●ストレスを受けたときの脳内神経伝達
ストレスがかかると、脳内ではノルアドレナリンやドーパミンなどの神経伝達物質が放出され、視床下部の室傍核からCRH(副腎皮質刺激ホルモン放出因子)が放出されます。
CRHは下垂体からのACTH(副腎皮質刺激ホルモン)の放出を促し、ACTHは副腎からのコルチゾールの放出を促します。
ノルアドレナリンやドーパミン、コルチゾールなどが脳全体に広がると、神経細胞間の伝達が正常に行われなくなります。
特に前頭前野や海馬などでこれらの濃度が高まると、行動や意欲に関わる脳の活動が低下します。
この状態がさらに続くと、神経細胞が破壊され、脳が萎縮する場合もあります。
CRHは、中脳から脳幹の内側部に分布している縫線核に投射していて、セロトニン神経系の活動を抑制します。
セロトニンは、ノルアドレナリンやドーパミンなどをコントロールし、精神を安定させる働きがありますので、不足すると精神が不安定になります。
五月病にならないためには、ストレスを上手くコントロールすることが重要です。
ストレスというと、精神的・肉体的なストレスを思い浮かべがちですが、ここでいうストレスは、それだけではありません。
遊びや人との交流などのように楽しいと感じることであっても、度を超せば脳はストレスと感じます。
その他、睡眠や起床などの生活リズムの乱れや、気温や気圧の変化など、日常生活や環境の変化もストレスになります。
神経伝達物質バランスを乱す原因となるものは、すべてストレスと見なします。
ストレスをコントロールするためには、生活リズムを規則正しく整え、神経を興奮させたり疲労を溜めることは極力避けることが大切です。
●食事の影響
神経伝達物質は、食べ物に含まれる栄養素から作られるので、栄養バランスが悪いと、神経伝達物質が正常に作られなくなる恐れがあります。
セロトニンは、アミノ酸のトリプトファンを原料として生成されます。
葉酸、鉄、ナイアシンを補酵素として、5HTP(ヒドロキシトリプトファン)が生成され、これにビタミンB6が働き、セロトニンが生成されます。
トリプトファンは人体では生成することができない必須アミノ酸なので、食事から摂取する必要があります。
カツオ、牛・豚レバー、鶏卵、チーズ等に多く含まれています。
たんぱく質が不足がちな人は、トリプトファンが不足して、セロトニンが不足する可能性があります。
ノルアドレナリンは、フェニルアラニンを原料として生成されます。
葉酸、鉄、ナイアシンを補酵素として、フェニルアラニンからチロシンに、チロシンからL-ドーパに変換され、ビタミンB6の働きでドーパミンに変換され、ビタミンCと銅の存在下でノルアドレナリンに変換されます。
フェニルアラニンは牛レバー、クロマグロ、鶏むね肉などに多く含まれているので、やはりタンパク質が不足すると、ノルアドレナリンが不足する可能性があります。
さらに葉酸、鉄、ナイアシン、ビタミンB6、ビタミンC、銅といった、ビタミンやミネラルも必要です。
肉、魚、野菜、果物などをバランスよく摂取することが必要です。
季節の漢方「肝の病」
5月は暦の上では夏です。
植物は成長し動物の活動も盛んになり、生命力に溢れる時期です。
人においては肝の気が上昇します。
肝の気は陽の性質を持つので上昇するのです。
そのおかげで、人は意欲的、活動的になりますが、それが強くなり過ぎると、イライラ感など、身体の不調として現れるようになります。
肝の失調による、精神症状を伴う証としては、肝気鬱血、肝陽上亢、肝火上炎などがあります。
肝気鬱血とは、肝の疏泄機能が失調した状態で、感情の抑うつ、怒りやすい、胸悶してよくため息をつく、胸脇や乳房または少腹(下腹部の左右)の脹痛、月経痛、月経不順、脈弦などがみられます。
肝陽上亢とは、肝腎陰虚によって陰が陽を抑制できなくなり、これにより肝陽が亢進して出現する病証を指します。
症状としては、めまい、耳鳴り、不眠多夢、健忘、動悸、腰や膝のだるさや無力、舌が赤くなるなどの症状がみられます。
肝火上炎とは、肝気鬱血が長く続いて化火し、これにより気火が上逆して出現する病証を指します。
症状としては、頭痛、めまい、潮音のような耳鳴り、顔面紅潮、目の充血、口苦、のどが渇く、脇肋が脹痛して灼熱感がある、煩躁して怒りやすい、不眠または悪夢を多く見る吐血、鼻出血、大便秘結、黄赤色尿、舌質紅、黄色く乾いた舌苔などがみられます。
また肝は、他の臓腑へも影響を及ぼし、身体症状も引き起こします。
肝火が上炎し、心の火も盛んになる心肝火旺、勢いの強い肝が脾を剋す肝旺乗脾(木乗土)、肝火が肺を犯す肝火犯肺などがあります。
金元医学四大家の一人朱丹渓は、鬱を気・血・痰・火・湿・食の6つに分類し六鬱学説を提唱しました。
気鬱は胸腹部の張りや膨満感等、血鬱は四肢無力や血便等、痰鬱は喘息等、火鬱は胸腹部の煩悶(苦しみもだえること)等、湿鬱は全身の重だるさや関節痛等、食鬱はげっぷや胃酸の逆流、腹部の張り、食欲不振等があります。
朱丹渓は、六鬱の中では気鬱を最も重要視し、気の滞りを取り除くことにより、すなわち気鬱を治療することにより他の欝も改善
されると考えていました。
うつ状態や不安感などの精神的症状や、自律神経のバランスを崩したことによる身体的症状は、ストレス社会と言われる現代に特徴的だと思われがちですが、実は昔も同じようにあったようです。
肝の病の治療薬として代表的なものに、四逆散や加味逍遥散があります。
四逆散は、柴胡、芍薬、枳実、甘草の4つの生薬から構成されています。
柴胡は肝気鬱結を疏散し、枳実は滞った気を通じさせます。
芍薬は血を養い、胃部の緊張を和らげます。
甘草は、胃腸を温め、痛みを和らげ、また諸薬を調和させます。
漢方薬メーカーツムラの添付文書には次のように効能効果が記載されています。
「体力が中くらい以上の人の胆石症、胃炎、胃酸過多、過敏性腸症候群、鼻炎、気管支炎、腰痛・下肢痛などに用いられる。 精神不安や神経症にも用いられる。」
加味逍遥散は、逍遥散(柴胡、芍薬、蒼朮、当帰、茯苓、甘草、生姜、薄荷)に牡丹皮と山梔子を加えた方剤です。
柴胡、芍薬、甘草は四逆散と同様の働きをします。
蒼朮と茯苓は、胃腸の湿を取り除き脾の運化機能を回復させ、気血の生成を正常にします。
生姜は脾胃を温めることで脾の運化機能を助けます。
薄荷は、柴胡の肝の疏泄機能を助けます。
加味逍遥散は、清熱作用を持つ牡丹皮と山梔子が加わることで、肝気鬱結が進行して火と化した肝鬱化火に用います。
漢方薬メーカークラシエの添付文書には次のように効能効果が記載されています。
逍遥散:「体力中等度以下で、肩がこり、疲れやすく精神不安などの精神神経症状、ときに便秘の傾向のあるものの次の諸症:冷え症、虚弱体質、月経不順、月経困難、更年期障害、血の道症、不眠症、神経症」
加味逍遥散:「体力中等度以下で、のぼせ感があり、肩がこり、疲れやすく、精神不安やいらだちなどの精神神経症状、ときに便秘の傾向のあるものの次の諸症:冷え症、虚弱体質、月経不順、月経困難、更年期障害、血の道症、不眠症」
加味逍遥散は、逍遥散の効能に「のぼせ感」や「いらだち」が加わっています。
これらの症状は、牡丹皮と山梔子の清熱作用に起因することが分かります。
参考文献
溝口徹(2009)『「うつ」は食べ物が原因だった!』(青春出版社)
高金亮監修(2020)『改訂版 中医基本用語辞典』(東洋学術出版社)
滝沢健司(2018)『図解・表解 方剤学』(東洋学術出版社)
根本幸夫(2016)『漢方294処方 生薬解説』(株式会社じほう)
ツムラホームページ
クラシエホームページ